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エレミヤは涙の預言者と言われるほど、大変な状況で活躍した預言者です。滅びゆく南ユダ王国で、神様に背き偶像礼拝をしているイスラエルの民。都合の良いこと、平和的なことしか語らない祭司や、偽預言者たちの中で、彼は主から与えられた言葉を語ります。それは、国が滅びるという信じられないものでした。苦しい中、頼れるのは神様ただお1人しかいません。多くの葛藤の中で、神様に従い、自分の使命に生きる姿を見るとき、私たちは励まされます。
今日の箇所は、エレミヤが陶器師を通して、神様の計画を知る場面です。ここから、3つのことを受け取っていきましょう。
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1つ目は「神様との関係」です。ろくろで作られている陶器は、全て陶器師の手によって作られていること、そして気に入るまで作り直すことを、主は言われました。まさに、陶器師と土は、神とイスラエルの関係そのものであると言われたのです。土は完全に陶器師の支配下にあります。陶器師だけが、その土を意のままにできる。これは、イスラエルにも当てはまることでした。イスラエルは神様の御手の中にあり、神様よって統治され、神様の意のままになすことができるのです。神様がこのように言われたのには、理由があります。それは、イスラエルの民が大きな勘違いをしていたからです。イスラエルの民は、神に仕えるための存在であって、神がイスラエルの民に仕えるのではありません。神様を自分の目的のために利用することはできない、ということを主はエレミヤに教えたのです。
私たちは、神様の意のままに歩んでいるでしょうか。いつの間にか、関係性が逆転していないでしょうか。神様が私たちを自由自在にお創りになり、使いやすい器へと完成させてくださいます。それにもかかわらず、自分が良いと思う器になりたい、自分が扱いやすい器になりたいと、自分を基準に考えてしまいがちです。神様と私たちの関係は、主が支配者であって、私たちはその中にいる者でしかすぎないのです。この関係を忘れてはいけません。この関係が崩れてしまうと、人はどんどん罪の中に入ってしまうのです。
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神様と人間の関係を見るとき、「人間の罪深さ」も、この箇所から見ることができます。イスラエルの民は、先祖たちが神様によって、導き出されたことを知っていました。導く先に、恵みが用意されているということも、知っていました。しかし、神様はそんなイスラエルの民の罪を指摘されます。主の計画に従うのではなく、自分の計画に従い、自分の遂行したい事柄が成し遂げられるまでは、主の道に帰ることはないだろうと言われたのです。主は全てをご存知です。人間が罪の性質から逃れることが難しいことも、初めから知っておられます。しかし、神様は人をコントロールされたりはしません。私たちが主の道から逸れたとき、正しい方向へと戻るようにと、教えてくださいます。試練や問題を通して、主が用いりやすい器へと、私たちを作り変えてくださいます。しかし、私たちが主の望まれる選択をしないならば、完璧な器になることは難しいのです。神様が私たちを用いたいと願っていても、私たちの選択が自分本位のものであるならば、主の思いを遂行することはできません。
私たちキリスト者は、神様の計画に忠実に歩むことが大切です。自分の好きな人生ではなく、神様がどのような計画を持っておられるのかを考えて歩む必要があります。今日、私たちは自分の中に、自分勝手な罪が存在するということを、もう一度認識しましょう。そして、主の御手の中に私たちの人生があるということを覚えましょう。
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最後に、神様は人間に選択をさせるとき、必ず良い物を用意してくださいます。それは「神の恵みと憐れみ」です。神様がエレミヤに最も伝えたかったことは、悔い改めて、主の道に戻れということでした。神様は決して、イスラエルの民が悪い方向へと行くことを、望んでおられませんでした。いつの日か、自分たちの行いを悔い改めて、主の元へと戻ってくる、そのことだけを望み続けたのです。だからこそ、エレミヤを通して、主は語り続けられました。しかし、イスラエルの民は、最後まで神様に立ち返ることをしませんでした。その結果が、バビロン捕囚です。そんな悪に染まったイスラエルの民を、神様は見捨てず、憐れみと希望を語り続けたのです。
私たちも人生の中で、主を選ぶか、自分の思いを選ぶかの選択を迫られる時があります。私たちが間違った方を選んだとしても、神様はもう一度主を選び取ることができるようにと、新しい選択肢を与えてくださいます。新たな選択をするとき、私たちは自分の行いを振り返り、悔い改めるということが必要です。神様の思いとは違う人生を歩んできたことを悔い改め、赦していただくことが、私たちがキリスト者としてやるべきことなのです。神様はいつでも私たちを赦してくださるからいいやと、高慢になるのではなく、どうしたら主の望まれる人生を歩むことができるのかを考えるクリスチャンでありましょう。主の望まれる器になることができるようにと、祈り主を見上げて歩んで行きましょう。問題や試練の中にあっても、全てが主の御手の中にあるからこそ、主と共に乗り越えることができます。陶器師なる主が、私たちを最後まで作り上げて下さることに感謝する者となりましょう。