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私たちは、様々なことを天におられる神様にお祈りします。自分自身の問題、家族や友人関係、将来、願っている事柄、ありとあらゆることをお祈りします。マタイ18章19節には、何事でも同じ思いで祈るなら、天の父は耳を傾けてくださると書かれてあります。イエス様は何でも祈ってよいと教えられていますが、今日の箇所には、祈るべきことがあると書いてあります。
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パウロは異邦人伝道をする人でした。パウロによって、神の秘められた計画が露わになったのです。まさにそれは、異邦人が福音を聞き、受け入れ、キリストイエスによって約束されたものをユダヤ人と一緒に受け継ぎ、同じ体に属するということです。彼らは、キリストの十字架の救いを受け、教会を建てあげる共同体の一員となったのです。異邦人伝道によって投獄されたパウロは、エペソの人たちに励ましの手紙を書きつつ、祈るのです。パウロは何を祈ったのでしょうか。
まず、パウロの祈りの姿勢は「ひざをかがめて」祈る姿勢です。この姿は、熱心に祈る時の姿勢です。イエス様もゲッセマネの園で祈る時、この祈りの姿勢で祈りを捧げられました。パウロが熱心な執り成しの祈りを捧げていた、その内容とは一体何でしょうか。
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1つ目は「内なる人が強められる祈り」です。パウロは内なる人を強めてくださいと祈っています。コリントⅡ4:16を見ると、「外なる人」と「内なる人」がいることが分かります。「内なる人」とは、人間の感情を指しているわけではありません。「内なる人」とは、私たちの心に住んでくださる、イエスキリストのことを言っています。私達がイエス様を信じたとき、イエス様は心に住んでくださいます。パウロは内住されるイエス様が強められることを祈ったのではなく、私たちの心に住み続けてほしいと願い求めたのです。信じた時に既に心に居て下さるにも関わらず、なぜパウロはこのように祈ったのでしょうか。それは、私たちの心の状態が重要だからです。私達の心の主人はイエス様です。ですから、心の全てを明け渡す必要があります。自分の意志で見せたくないと思っている、そのような思いも全てイエス様に明け渡して、イエス様を迎え入れる必要があります。誰にも知られたくないような部分でさえ、イエス様によって癒されたいと願う時、主は私たちの内なる心を本当の意味で強めてくださいます。
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パウロが捧げた2つ目の祈りは、「愛の無限性を知る祈り」です。「愛」と聞いて思い出すのは、イエスキリストの十字架です。当時この処刑は、最もひどいものであり、愚かなもの、死と呪いを象徴するものでした。十字架で死ぬということが、最も恥ずべき死に方だったのです。しかしキリストの十字架は、死と呪いのシンボルではなく、愛と命を与えるものへと変えられました。イエス様がどれほど私達を愛しているかが、ヨハネⅠ4章10節に書かれてあります。イエス様が、私たちの罪のための宥めの供え物として十字架に架かってくださいました。イエス様からの目に見える愛の形が、十字架です。この出来事は、人間の想像をはるかに超えるほどの愛です。私達はその愛を、全て知ることはできません。なぜなら、イエス様の愛の広さ長さ高さ深さは計り知れないからです。
愛の広さは、限定的なものではありません。愛の長さは、永遠に続くものです。また愛の高さは、詩篇108篇4節にあるように、天まで続くような愛です。最後に愛の深さとは、罪人であった私達のために、地上に下り、罪人の友として歩み、神様の定めの時に罪人の罪を負い、十字架に処せられ、暗闇と恐怖と痛みを経験され、最終的にはよみにまで下ってくださった、これこそが、イエス様の愛の深さなのです。これらすべての愛は、イエス様からの一方的な愛の行為です。私達はこの愛を、まだ知り尽くしてはいません。だからこそ、パウロは愛の無限性を知りたいと祈り求めました。主の愛に生きると、それは希望となり、喜びとなります。また受けた愛を実践する者へとなるのです。
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最後にパウロは何を祈ったのでしょう。それは「人間の思いを超えた神の業を知る祈り」です。人生の中で、多くのことを計画し、願います。しかし主の業は、私達が願い計画する以上に素晴らしいものです。主の恵みは想像をはるかに超えるものです。目先のものばかりを願い求める私達ですが、神様は私たちに信頼する信仰を養ってくださいます。主は私たちが願うこと以上の、私たちの思いを超えるほどのものを用意してくださっているという信仰を持つことを願っておられるのです。
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みなさんは、想像以上の神様の祝福を信じていますか。人間の想像をはるかに超えるほどの、主の業を体験したいと願っていますか。今日、心にイエス様を迎え入れ、イエス様の無限の愛を知り実行していく者として、さらには、願い以上のことを成し遂げて下さる神様に信頼して、祈っていく者となりましょう。誰かのために祈ることも重要です。しかしその前に、イエス様によって私達が強められ、主の愛を知ることができるように、主の素晴らしいご計画が私達の人生に現されていくようにと、祈っていきましょう。