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今年一年、共に礼拝を捧げることができたことを感謝します。今年も様々なことがありました。このように礼拝ができたことは、実に神の恵みです。ここに神の恵みを見ます。毎週の礼拝、祈祷会を守ることができたということは、当たり前のことではありません。
神の御前に集まり、礼拝する、祈祷会をするということには、戦いがあります。信仰の戦いです。
悪魔の策略、という言葉がエペソ6:11にあります。策略というぐらいですから、それとわかるようには仕かけてきません。悪魔は、私たちの目を神から引き離そうとします。私たちに、信仰があってもなくても変わらない、と思わせようと巧妙に働きかけてきます。
しかし、そのような策略にあらがうように、私たちは礼拝を捧げ、集まることをやめませんでした。神に信頼し、期待し、待ち望みました。ここに神の恵みを見ます。これは私たちが強いからではありません。ただ神の恵みです。
礼拝をやめなかったということは、主を待ち望むことをやめなかったということです。来る新しい年も、この神の恵みを覚えて、主を待ち望んでいきたいと思います。
このことを詩篇33編から学び取り、聞き取り、受け取っていきましょう。
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アドベント・クリスマスの間、「大きな喜び」に注目しました。改めて礼拝とは、主を喜ぶことです。1節にあるように、主にあって喜び歌い、賛美することです。主にあって、という言葉は、聖書の中で大切な言葉です。主に結びついて、主によって、その御業のゆえに、という意味の言葉です。
その御業とは、私たちを救って下さったという御業です。神は、今年も恵みによって私たちを導き、生かし、支え、今日まで守って下さいました。礼拝を捧げることができました。神をほめたたえることができました。
礼拝は、この恵みを覚えることです。見つめることです。5節には、地は神の恵みに満ちている、とあります。信仰の目は、地に満ちている主の恵みを見ることです。悪魔の策略はそれを見させないようにと働きます。
エペソ6:10以下では、だから、神の武具を身に着けよと言います。自分の力、気力、根性、意志の強さに頼るのではなく、聖霊の力によって、ただ神の言葉により頼み、神の恵み、力に寄り頼んで生きるようにと勧めます。
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1節から5節まで、主なる神を喜び、賛美するようにと励まし、勧めます。2節には、主に感謝せよ、との言葉があります。感謝すると訳された言葉には、賛美する、告白する、という意味もあります。
1節では、その賛美は心の直ぐな人たちにふさわしい、とあります。心の直ぐな人とは、真っすぐな人です。何に真っすぐかというと、神に向かって真っすぐということです。
私たちは、賛美の歌を歌っている時、その賛美によって慰めや励ましを受けます。また、神の愛、恵み、慈しみを知るという経験をします。それは、その賛美によって神に真っすぐに向かっているからです。
私たちは、悩むこと、苦しみ、悲しむことがあります。それでもなお、主にあって賛美し、喜び歌う人は、心の直ぐな人たちです。神に真っすぐに向かっている人たちです。
この詩篇は、初めに神を喜び歌うことを勧めています。この呼びかけは、信仰への招きです。神からの招きです。私たちはこの呼びかけに応えて、神を賛美し、礼拝し、待ち望みます。ここに、悩み苦しみ、悲しみの中にあってもなお、神に信頼し、神の恵みの世界を信じる信仰者の姿があります。悪魔の策略に抗う信仰の姿があります。その意味では、賛美とは、神の武具を身に着け、悪魔の策略との戦いの歌でもあると言えるでしょう。
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4節に、主の言葉は正しいとあります。正しいということは、真っすぐという言葉と同じ言葉です。直訳すると、主の言葉は真っすぐ、となります。何に真っすぐかと言うと、私たちに向かって真っすぐに語りかけられているということです。それは、神が私たちに向かって真っすぐに向かっておられる、ということです。
これこそが神の愛であり、神の真実であり、正義であり、公正です。私たちは、この神の愛を、真実を信じています。この詩篇では、その真実を天地を造られた御業に見出しています。
天地を造られた御業はまた、私たちを救う神の御業へとつながります。天を造られた神は、罪の中に沈み、苦しむ私たちを救う神です。私たちをお造りなった神だからこそ、私たちを愛し、恵みによって私たちをお救いになるのです。
時に私たちには、この神の恵みが見えないということが起こります。しかし、それでもなお私たちは神の愛を信じます。神の御支配を信じます。神がご計画をもってこの世界を支配しておられることを信じます。
13節、14節には、主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる。御住まいの所から地に住むすべての者たちに目を注がれるとあります。神は、私たちを見ておられ、その御手に握っていて下さいます。私たちはこの神を信じているのです。
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礼拝するということは、主を待ち望むことです。主に望みを置くことです。主に信頼することです(21節)。主に信頼する者は失望することはありません(ローマ10:11)。このことを覚えて、来る新しい年も何があっても主を礼拝することをやめないで、主に信頼し、待ち望んでいきたいと思います。
この詩篇の作者は最後に祈ります。主よ、あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだ時に。新しい年もまた、神の恵みが私たちの上にあるように、主を待ち望む者の上にあるように、と祈って、新しい年に向かって行きましょう。