創立を記念することは、今日までの感謝と共に、明日からの私たちの歩みを主に祈り求めることでもあります。記念することは、今日まで記憶することです。そして明日からのことを期待することです。
今日、私たちはこの聖会で聖霊を祈り求めます。それは、私たちの歩みは、聖霊の力によってなされるものだからです。かつての賛美に「聖霊ともにあり」というのがありました。
聖霊が共におられる、ということほど心強いことはありません。私たちの信仰の歩みが強められるために、聖霊を求めて祈ります。
子ども賛美歌に「主イエスと共に」という賛美があります。この聖会の説教題は、「主イエスと共に」です。
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この聖会に与えられた聖書の箇所は、私たちキリスト者の実存を教える箇所です。それが「キリストと共に」という言葉です(4節)。私たち洗礼を受けた者は、その洗礼によってキリストと共に葬られた、と言います。
そして8節で、キリストと共に死んだのなら、と言います。洗礼はキリストと共に死んだことを意味します。キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じます、と言います。
洗礼を受けたことを3節では、キリスト・イエスにつくバプテスマ(洗礼)と言います。「つく」というギリシャ語は、「~の中に」という意味の言葉です。洗礼は、キリスト・イエスの中に洗礼されたことを意味します。キリストの死の中にいっしょに入ったのです。そうであるなら、キリストが死から甦ったように、私たちも新しい命に生きると言うのです。
ですから、パウロは、ガラテヤ2:20で、私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きているのです、と言います。今日の箇所の6節でもそう言います。これを覚えることは大切です。
私たちは時に、6節にある古い人、罪の中にいる人のままでいることがあります。しかし、覚えてほしいのです。私たちキリスト者は、かつては罪の中で生きていました。いや死んでいました。それが今、キリストにつくバプテスマを受けて、罪に生きていた人生が終わったのです。それは新しい命に生きるためです(4節)。
洗礼を受けた時から私たちは、キリストと共に生きているのです。それが洗礼を受けたということの意味です。
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洗礼を受けたのに、弱さゆえに、この体を罪の支配に委ねてしまったということもあるでしょう。そこで私たちキリスト者の実存を知るべきです。
私たちの古い人は、キリストと共に十字架につけられたのです。そしてキリスト共に死んだのです。キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることになると信じるのです。
このことを11節で言葉を換えて言います。私たちは罪に対して死んだ者であり、神に対してはキリストにあって生きた者だと、思いなさい。
この11節は、翻訳者の思いが表れています。翻訳者は「思いなさい」という言葉の前に読点を置きました。ギリシャ語本文にはここに読点はありません。この「思いなさい」に意味を込めたのです。
3節では「あなたがたは知らないのですか」と言います。これは、自分をどう理解しているのか、どう判断しているのかを問うていることです。同じように、ここでの「思いなさい」も洗礼をどう受け止め、理解しているのか、洗礼を受けた自分をどう理解しているのかを問うているのです。
私たちはキリストにつくバプテスマを受けた。キリストと結びつき、キリストと共に生きる洗礼を受けた。罪に死んで、義に生きる者となった。罪の奴隷から解放されている者となった。このアイデンティティ、自覚は大切です。
主イエス・キリストを信じて私たちの歩みが新しくなりました。そしてキリストと共に死に、キリストと共に生きる洗礼を受けました。キリストを信じるとは、キリストが共に歩んで下さっていることを信じることです。それによって私たちもキリストと共に生きることができるのです。キリストが共に歩んで下さっていることを忘れてはなりません。
キリストと共に、という私たちの実存は、キリストが共にという信仰によって成り立つのです。そして、キリストが共にという信仰は、聖霊の働きによるのです。
弟子たちはいつも主と共に生活していましたが、それがどういうことかはわかっていませんでした。しかし、彼らが聖霊を受けた時、キリストと共に歩むということを知ったのです。
古い人、罪の中に生きていた自分は、キリストと共に死んだことを知ったのです。それはキリストと共に新しい命に生きる者となるためであり、罪から解放されて、キリストと共に生きる者となったことであったと知ったのです。何よりもキリストが共に歩んで下さっていることを知ったのです。
私たちが聖霊を求めて祈るのは、キリストが共におられることを深く知り、キリストと共に歩むためです。聖霊に満たされることを祈り求めるのは、キリストが共におられることを深く知り、キリストと共に歩むためです。
聖霊は私たちと共に今日までいて下さり、私たちがキリストと共に歩むことを得させてくださいました。時には弱さゆえにそれができないこともありましたが、聖霊はそれでも私たちと共にいて下さり、キリストと共に歩むことを得させてくださいました。
私たちは今日からまた新たに次の歴史を編んでいきます。主イエスと共に歩む歴史を編んでいきます。聖霊が共にいて下さり、力を与え、時にかなった助けを与えて下さって、キリストと共に歩むことができるようにして下さるのです。今日まで、そして明日からも私たちは主イエスと共に歩むのです。そして、キリストの体である教会を建て上げていくのです。
聖霊を求めて祈りましょう。