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5月25日説教要旨 「主イエスの十字架 -完全な救い」 マルコ15:33~41

これまで2回にわたって主イエスの十字架の意味を見てきました。前回、主イエスが十字架の上で叫ばれた言葉から、主イエスが罪ある私たちに代わって神に見捨てられたということを知りました。それ故に、私たちは神に見捨てられることはないと改めて知ったのです。ここに私たちの希望の根拠があります。

神は私たちを決して見放さず、お見捨てにならないのです。神の愛はここに現わされているのです。イザヤ62章の預言、神の約束は主イエスによって成就、実現したのです。

そして今日、さらに主イエスの十字架の死のもう一つの意味を知る。

福音書は主イエスの十字架の出来事を克明に記しています。十字架にかけられた時間、全地が暗くなった時間、主イエスが息を引き取られた時間。その時、十字架を見ていた人たちが主イエスの叫びに「エリヤを呼んでいる」と言ったことなど。

そして、主イエスが大声をあげて息を引き取られた様子を書き記します。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたと記します。神殿の幕とは、神殿の中にある聖所と至聖所とを隔てる幕のことです。この出来事に、主イエスの十字架の死の意味することを見ます。今日の焦点はここです。

神殿は礼拝の場です。ここで礼拝する者は、小羊の犠牲を必要としました。その血を携えて聖所と呼ばれる場所に入ります。さらに、その奥に幕で隔てられた大祭司だけが年に一度だけ小羊の血を携えて入ることのできる至聖所という所があります。

この至聖所には契約の箱があります。この箱には、十戒が記された契約の石の板とアロンの杖とマナの入った壺が入れてあります。その蓋には、顔は人間で翼を持ったケルビムと呼ばれるものが2体、向かい合っています。この契約の箱は、今は失われています。模型はいろいろとあるのですが、それらはすべて想像です。

出エジプト記には、その造りが詳しく記されています。出エジプト記には、神がモーセとお語りになる時、この蓋=贖いの蓋の上の二つのケルビムの間からイスラエルに命じることをお語りになると記されています。

このように神の臨在のある所、誰もが入っては行けない所、それが至聖所でした。主イエスが息を引き取られた時=死なれた時、聖所とその至聖所とを隔てていた幕が上から下まで真二つに裂けたのです。

それは、神と人とを隔てていた幕が、主イエスの十字架の死によって取り払われたことです。主イエスの十字架の死がそれをもたらしたのです。

このことはヘブル書に記されている通りです。今日は、ヘブル書に記されていることに触れます。そしてこの十字架の意味を知るのです。

ヘブル書は、今読むとちょっと難しく思えます。これは説教だったと言われます。その主題は、「大祭司であるイエス・キリスト」です。前述のように、大祭司は、年に一度、人々の罪の贖いのため=罪を赦していただくために、小羊の血を携えて至聖所に入ります。これを毎年繰り返していました。至聖所に入ることは、神の御前に出ることです。そのためには、罪があってはいけません。ですから、大祭司は自分の罪のためにも毎日、いけにえを捧げていました。

しかし、主イエスは、十字架の死によって自分自身をいけにえとしてお捧げになりました。ヘブル7:27、9:12にそのことが記されています。ここに主イエスの十字架の意味があります。

9:12には、ご自分の血によってただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられた、と記されています。永遠の贖いとは、完全な贖いです。完全な救いです。大祭司である主イエスの十字架によってこの完全な贖いが成し遂げられたのです。

私たちは、この主イエスの十字架によって完全に罪から救われたのです。神に見捨てられるという絶望から救われたのです。

また、救いとは、神の御前に大胆に進み出ることができるようになったということです。まことの大祭司である主イエスご自身の血によって清められて、私たちは神の御前に大胆に近づくことができるのです。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けたことは、このことを意味しています。

ヘブル10:19では、私たちは、主イエスの血によって大胆にまことの聖所に入ることができる、と言います。神の御前に出ることができるとは、神との交わりを持つ者とされたということです。

罪とは、神以外のものを神とすることです。自分を神とすることです。その罪があっては神との交わりを持つことはできません。神の御前に出ることはできません。しかし、主イエスが完全な贖いを成し遂げて下さったのです。私たちは神との交わりを持つことができるようになったのです。

エペソ3:12では、私たちはキリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができる、と言います。そしてエペソ2:14では、神と我々とを隔てる壁が打ち壊された、と言います。これが主イエスの十字架です。完全な救いが成し遂げられたことです。

とは言え、私たちはまだまだ罪を犯します。そこで、私は完全に救われていないのでは、という疑問を持つことがあります。

大丈夫です。神の救いの御業は完全です。このような私たちでも、主イエスの救いの御業、十字架の御業によって、大胆に神の御前に出て礼拝することができるのです。主イエスの十字架による救いの御業は完全なものです。永遠の贖いを成し遂げられた完全な御業です。

神が私たちを救うために、完全な救いの御業を成し遂げて下さったことを覚え、感謝し、大胆に神の御前に近づきましょう。悔い改めつつ、歩んで生きましょう。