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6月22日説教要旨 「我らに先立つ主イエス」 マルコ16:1~8

主イエスの復活の出来事を記した箇所からさらに恵みを汲み取っていきます。

先週と今週の礼拝の間に、石原美智子先生の葬儀を執り行いました。改めて主イエスの復活こそが私たちの希望であり、私たちの信仰であり、福音であることを確認しました。その信仰とは、復活信仰です。

使徒信条の告白の通りです。私たちの信じる主イエス・キリストは、死んで葬られ、黄泉に降り、三日目に死人のうちよりよみがえられたお方だと告白します。これが私たちの信仰です。主イエスのよみがえりなくしては、私たちの信仰は成り立たないのです。そして、使徒信条は告白します。私たちは体のよみがえりを信じる。

前回、主イエスのよみがえりを告げる真っ白な長い服を着た青年の言葉のうち、6節の言葉に目を留めました。今日は、それに続く7節の言葉に目を留め、恵みを汲み取っていきます。

7節で青年は言います。「イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこで会える」。青年は女性たちに、弟子たちとペテロにそう伝えなさい、と言います。

この青年の言葉のなかで、今日は、「先に行かれる」という言葉に注目します。この言葉の原語は、一つの単語です。マルコはこの箇所以外でもこの言葉を使っています。10:32では、エルサレムに向かって主イエスが弟子たちの先に立っていかれた、と記されています。これは十字架の死に向かって先頭に立って行かれた、ということです。

Ⅱコリント4:10,11を思い起こします。私たちキリスト者は、いつも主イエスの死をこの身に帯びている、と言います。またいつも主イエスのために死に渡されている、と言います。私たちの信仰の歩みはこれだ、とパウロは言います。それは、主イエスの命がこの身によって現れるためと言うのです。私たちが死に向かい、日々死に渡されていますが、主イエスはその私たちの先に立って行かれたのです。

先に立って行かれるとは、いっしょに行かれるということでもあります。私たちの信仰の歩みは、主イエスが先に立ち、主イエスがいっしょに行って下さる歩みなのです。

険しい道も、誰も行かなそうな道も、誰も通っていないような道も、主イエスが先に立って行って下さるのです。一緒に行って下さるのです。

甦られた主イエスは、弟子たちの生活していたところ、ガリラヤに先に立って行かれました。すでに主イエスが14:28で言っておられた通りです。

先に立って、ということは、よみがえることにおいてもということです。弟子たちの先に立って、私たちの先に立ってよみがえられたのです。

Ⅰコリント15:20に、キリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられた、とあります。初穂ということは、先んじてということです。ですから、キリストに続く私たちキリスト者もよみがえるのだということです。その意味でも、私たちキリスト者は、主イエスの後についていく者なのです。死までも、そしてよみがえりにおいても主イエスの後について行くのです。

福音書が書かれた時代は、キリスト者にとって、死を覚悟するような迫害のあった時代です。今の時代は、死を覚悟するような迫害というのはありませんが、さまざまな誘惑があります。私たちを惑わし、心を乱すようなことがあります。改めて悪魔の策略の中で戦いをしているような思いをします。エペソ6:13で、このような悪魔の策略のある邪悪な日に対抗できるように、固く立つことができるように、神の武具を身につけなさい、と勧められています。

邪悪な日は、昔も今もあります。しかし、恐れる必要はありません。主イエスが私たちの先に立って下さるのです。そして勝利して下さるのです。私たちには先に立って行って下さり、いっしょに行って下さる主イエスという宝があるのです。

Ⅱコリント4:7~18では、この土の器の中にキリストという宝を持っていると言います。だから、四方八方から苦しめられても窮せず、途方に暮れても行き詰まらないのです。迫害されても見捨てられず、倒されても滅びないのです。

主イエスが先に立って下さるからです。主イエスがいっしょに行って下さるからです。ですから、万策尽きても決して望みはなくならないのです。パウロは、Ⅱコリント4:14で言います。主イエスをよみがえらせた方=神が、私たちをも主イエスと共によみがえらせ、いっしょに神の御前に立たせて下さることを私たちは知っている、と言います。

主イエスが私たちの先に立ってよみがえって下さったことにより、私たちも共によみがえらされるのです。これが復活信仰です。この信仰によって私たちもよみがえるという希望が与えられるのです。

私たちは知っている、という言葉は、とても大切です。私たちは信じている、ということでもあります。この信仰こそ、私たちに希望を与えるのです。

主イエスが誰よりも先に立ってよみがえって下さいました。そして今も生きておられます。今も生きて私たちの先に立って、また一緒に行って下さるのです。私たちの手を引いて導いて下さるのです。

だから、私たちは恐れません。

復活信仰によって私たちは希望をもって歩みます。たとえ艱難に遭おうとも、困難なことがあっても主イエスが先に立って下さるのです。一緒に行って下さるのです。私たちは主イエスの後について行ってまた、主イエスと一緒に信仰の歩みをするのです。