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10月19日説教要旨 「主イエスの深い思い」 マルコ1:40~45

今日は特別な礼拝です。特別な音楽と聖書に記されているイエス・キリストを紹介する礼拝です。すでに主イエスを信じ、知っているクリスチャンにとっては、主イエスをもっと知ることです。これはクリスチャンにとって喜びです。

皆さんはイエス・キリストというお方にどのようなイメージを持っているでしょうか。考えたこともない、と言われるかもしれません。では、クリスチャンのイメージはどうでしょう。

優しい、清らか、まじめ、硬い、良い人などなど。良いイメージだけでなく、悪いイメージを持つ人もいるのではないでしょうか。

今日は、イエス・キリストのイメージを新たにしてほしいと思い、その一面を紹介いたします。一面と言いましたが、これはイエス・キリストの代表的な一面です。それが今日の箇所に記されています。

一人のツァラアトにかかった病人が主イエスの所に来てお願いをした、ということからこの出来事が始まります。ツァラアトとは、皮膚病全般のことです。古い翻訳では「らい病」と訳されました。日本にはらい予防法という法律がありました。今は廃止されています。ハンセン病のことをらい病と呼んでいました。

このツァラアトは、重い皮膚病と理解して良いようです。この聖書が記された時代、重い皮膚病にかかった人は、人と離れて住まなければなりませんでした。汚れた人として、神から捨てられた人と思われていました。ですから人が自分に近づかないように、人を見たら「私は重い皮膚病です。汚れた者です」と大声で言わなければなりませんでした。この病人の心は重かったと思います。人から離され、社会からも離されていました。

最近の出来事で言えば、新型コロナウィルス感染で、多くの人が苦しんだことが思い起こされます。コロナに感染した人をまるでその存在が悪いかのように扱われました。

治療にあたる医療従事者も偏見にさらされました。偏見がいかにその人を苦しめるかを、私たちは身近に経験いたしました。ですから、この重い皮膚病にかかった人のことは少しは理解できるのではないでしょうか。

彼は社会の偏見にさらされ、その存在を脅かされていた人です。その人が主イエスの所に来て一所懸命にお願いしました。

「あなたのお心ひとつで私を清くしていただけます」。もしあなたがそのようになさるのなら、あなたは私を清くすることがお出来になります、という意味です。上から目線で言っているのではなく、実にへりくだってこう言うのです。

無理もありません。この病にかかった人は、人からもそして何よりも神からも見放された者だと思われていたからです。また自分もそう思っていたからです。それでも、主イエスは、人を暗闇に縛り付ける悪霊を追い出し病人をお癒しになっていたお方だと彼は知っていたのです。そしてこのように言ったのです。ここに彼の信仰の姿があります。そして主イエスは、この姿にお答えになるのです。

この病人を見て主イエスは「深く憐れみ」と記されています。今日、私が皆さんにお伝えしたい主イエスのお姿がここにあります。

深く憐れむという言葉は、はらわた、内臓を意味する言葉がその元となっています。内臓は、その人の深い感情を表す意味でもあります。ですから「深く憐れみ」ということは、内臓を痛めるほどの思いで主イエスはこの人を憐れまれたということです。愛されたということです。

ここに主イエスの熱く激しい心、思いが言い表されています。この心、熱い思いはそのまま、今、私たちにも向けられています。

この「深く憐れみ」という言葉は、ルカ10:30~35に記されている主イエスのたとえ話の「良いサマリヤ人」の中にも使われています。強盗に襲われた旅人を助けたサマリヤ人の心を言い表している言葉として使われています(ルカ10:33)。

このたとえ話の「良いサマリヤ人」とは、主イエスご自身です。今日の箇所に記されているように、主イエスは、痛みを覚える人の抱える痛みのかたわらに立ち、手を伸ばし、触れて下さり、私の心だ、私の意志だ、思いだ、清くなれ、良くなれ、と言われるのです。

人として扱われていなかったこの病人を深く憐れみ、熱い心で思いやり、自分の体を痛めるほどに愛して下さった主イエスのお姿がここに記されています。

この主イエスは、私たちをも同じように愛して下さっています。ここに神の熱心な愛、一途に愛して下さる神の愛が表されています。

クリスマスは、主イエスが人としてこの世にお生まれになった出来事です。そのクリスマスの時に読まれる言葉がイザヤ9:1~7です。ここには私たち人間を絶望から救い、暗闇の中にいる人に光を与える救い主が生まれるということが記されています。そしてそれは、万軍の主の熱心、つまり神の熱心、熱い思いがそれを成し遂げると記されています。

そのようにしてお生まれになった主イエスによって、この神の熱い思いが成し遂げられたのです。その熱く、深い思いが主イエスの十字架の死に現れたのです。

あなたを熱く愛して下さる神のお姿こそ、主イエスのお姿です。私たちの病を背負い、罪を背負い、罪の身代わりとして死なれた主イエスの十字架にその思いが表れているのです。

これほどにあなたを愛して下さる神を、主イエス・キリストを信じてほしい、知ってほしいと思います。