新たな世代とともに、受け継がれる教会

集会案内 アクセス お知らせ

11月23日説教要旨 「平和を保つこと」 ローマ12:15~21

皆さんは、例えば家電製品などを 買った時、まず取扱説明書=マニュアルを読むでしょうか。私は読まずにとりあえず使ってみます。わからないことがあったらマニュアルを見ることにしています。

今、ローマ12章を読んでいます。ある人が、この箇所はキリスト者の生活のマニュアルだ、と言っています。キリスト者としてどう振る舞うのか、これを教えているというのです。

マニュアルという言葉は、ラテン語のマヌス=手という言葉から生まれたと言われます。そして、この言葉はマニュアーレという教会用語を生みます。儀式書と言われます。礼拝の作法を示す書物のことです。作法書と言っても良いでしょう。

教会によって文化が違うと言われますが、それは作法がちょっとずつ違うからです。今日は、東京オンヌリ教会の方たちがいっしょに礼拝しています。かなり作法が違うのではないかと思います。

この12章は、福音を信じて救われた私たちキリスト者が、どう生きるか、どうふるまうか、その作法を教えています。これは教会によって違いがあるのではなく、共通のことです。

1節にあるように、神に受け入れられる、きよい、生きた供え物として自分の体を神に捧げる礼拝の作法です。今日も神に受け入れられ、喜ばれる作法を知っていきます。

今日は、18節、19節に思いを集めたいと思います。

17節で、悪に対して悪で返すのではなく、良いことをしなさい、と勧められました。その良いことを18節では、平和に過ごすこと、平和を保つことだと言います。

その平和は、自分に関する限り、と言われています。他人のことはどうでもいいけど自分だけは、というのではありません。できることなら自分からは人との平和を保つように、ということです。

そしてここにも17節にあるように「すべての人と」平和を保つようにと言います。すべての人と平和に過ごすのは、神との平和に生きることによります。その意味では、私たちキリスト者は、神との平和を持っている者、与えられた者です。そのような私たちキリスト者は、人との平和を保つことができるのです。いつも争っていてはいけないのです。怒っていてはいけないのです。

すべての人と平和を保つことは、19節では別の言葉で勧められます。自分で復讐するな、神の怒りに任せなさい、と勧められます。ある人が、このことがキリスト者の生活の作法の急所、大切な所だと言っています。

自分で復讐するなとは、自分が正しいと思っても罰するな、ということです。自分の怒りに任せて仕返しするな、神の怒りに任せなさい、と訳しても良いかもしれません。すべての人と平和を保つのは、このことによります。

18節では、できる限り自分からは、と言います。これは、意識して、ということです。17節で「良いことを図りなさい」と勧められていたのと同じです。前もって備えておくことです。意識することです。それは私たちキリスト者にとっては、祈ることです。

無意識に平和を保つことは難しいのです。私たちは自分の怒りに任せて復讐することが多いのです。時には正義感に駆られてということもあります。そうではなく、平和を作り、平和を保てというのです。自分で復讐することを捨てなさい、それは神に任せなさい、というのです。

ここに私たちキリスト者の美しい振る舞い、美しい生活があるのです。

これまでも悪に悪をもって対するのではなく、祝福することを図るようにとの勧めを聞いてきました。19節で、改めて言葉を換えて勧めます。

パウロは思いを込めて「愛する人たち」と呼びかけます。大事なこととしてこう呼びかけます。

自分で復讐してはいけない。捨てなさい。単に捨ててやめるのではなく、神の怒りに任せなさい、と言います。申命記32:35を引用して、それは聖書にこう書いてあるからというのです。

主イエスもまた山上の説教と言われる教え(マタイ5~7章)の中で、神を信じて生きることの幸い、祝福を教えています。その中で、隠れたところで見ておられる神ということが教えられます。神は見ておられる、だから、自分から復讐するのを捨てて、神の怒りに任せなさい、というのです。

「任せる」を直訳すると「場所を渡す、場所を空ける」です。神の怒りに場所を空け渡すのです。

この言葉は、エペソ4:27では、悪魔に機会を与えるな、ということに使われます。「機会を与える」という言葉です。悪魔に場所を渡すな、ということです。そして言います。怒っても罪を犯すな、怒ったまま日が暮れてはならない。

怒ることは避けられないかもしれません。感情のコントロールは難しいものです。しかし、怒ったままで日が暮れてはいけないのです。日が暮れるとは、新しい一日が始まるという意味です。怒りを次の日に持ち越してはいけないのです。怒りで一日が始まってはいけないのです。

それを超えると悪魔に場所を空け渡してしまうことになるのです。罪を犯してしまうのです。

それを神に任せるのです。神に場所を空け渡すのです。なぜなら、私たちには怒る資格がないからです。罪を持っているからです。だからこそ、怒りを神に任せるのです。

神に任せるということは、復讐、怒りだけではなく、信仰のすべて、私たちの生活のすべてを神に任せることです。任せるとは、委ねること、信頼することです。神に仕返しをお願いするのではありません。神を信頼して任せるのです。

そこから20節21節の勧めを生きることになります。

神に委ね、すべての人と平和を保つこと、これが神に受け入れられ、喜ばれることなのです。