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今日からアドベントです。主を待ち望む思いを強くしたいと思います。また、救い主の誕生を喜び、祝うために心を備えていきたいと思います。
救い主の誕生を喜ぶことは、私たちの救いを喜ぶことです。私たちの救いはここに始まったのです。イザヤ25:9にあるように、私たちが待ち望んだ救いがここに始まったのです。
アドベントは「待降節」と言います。救い主の誕生を喜び祝う備えをしましょう。その期待感、待望感は、そのまま主イエスの再臨を待ち望む私たちの思いの強さの現れになります。
今年のクリスマステーマは「インマヌエル―神は私たちと共に」です。
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聖書の中心主題、それは主イエス・キリストです(ルカ24:44、ヨハネ5:39)。主イエス・キリストが人としてお生まれになり、私たちの罪の身代わりとして十字架で死なれ、三日目によみがえられたこと、そして、このことによって私たちが罪から救われたこと、これが聖書の中心主題です。
今日の箇所には、救い主がお生まれになることは、預言者を通して語られたこと=神の御計画が成就実現したことが記されています。(22節)。主イエスの誕生は、神が私たちと共におられることのしるしです。聖書が初めから終わりまで一貫して語っているのは、このことです。
マタイはイエス・キリストの系図から書き始めます。この系図は、旧約に記されている歴史です。この歴史を貫いて語られているのは、神は私たちと共におられるということです。
18節に「誕生」という言葉があります。この言葉は1節の「系図」と同じ言葉です。主イエス・キリストの系図、主イエスの誕生は神の歴史であり、ここに向かってその歴史は編まれたのです。そしてこの歴史を貫いて、神は私たちと共におられるということを表しているのです。
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しかし、私たちはそれに気づきません。それを知ろうともしません。ここに私たちの罪があります。
ローマ1:18以下に私たちの人間の罪の姿が語られています。その中でパウロは、神を知ろうとしない者の姿を語ります。21節で、共におられる神を知ろうとしないので、私たちの思いが暗くなったと言います。そして、28節以下で、神を知ろうとしないので、私たちは良くない思いを抱くようになり、してはならないことをする者となったと言います。
ローマ1:29~31に記されていることは悪行の数々です。このことは、共におられる神を知らないこと、知ろうとしないことから起こることです。
しかし、神はそのような私たちを見捨てることはなさいませんでした。人間をお創りになった時から私たちを見離さず、見捨てず、私たちと共にいてくださったのです。
そのことを目に見えてわかるようにと、ひとり子であるイエス・キリストを私たちにお与えになったのです。ヨセフとマリヤとの間に生まれさせたのです。
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神が共におられる、と言われても私たちはなかなかそれを信じられません。神が共におられるならなぜこんなに苦しむのか、なぜこんなに悲しいことが起こるのか。果てはなぜ戦争が起こるのか、などと思います。
確かに苦しみ、悲しみはあります。しかし、神は私たちと共におられ、私たちをその悲しみ、苦しみから救って下さいます。その悲しみは癒されます。そのために神は主イエスを人として生まれさせ、共にいてくださることを明らかにされたのです。
その悲しみ、苦しみを神は知っておられます。見ておられます。神が共におられるということは、神は私たちのすべてを知っておられるということです。見ておられるということです。
主イエスは、山上の説教で、悲しむ者は幸いだ、その人は慰められるから、と言われました。慰められるのは、神が共におられることを知るからです。主イエスを信じることによって、神が共におられることを知るからです。必ずその悲しみ、苦しみは癒され、慰められます。神が共にいてくださるからです。
ヨハネ1:14に、ことばは人となって私たちの間に住んだ、とあります。「ことば」とは主イエスのことです。
その「ことば」は人となった、ということは、目に見える出来事になったということです。神が共におられるということが目に見える出来事になったのです。
ギュツラフという宣教師がいました。初めて聖書を日本語に翻訳した人です。ギュツラフ訳と言います。最初に翻訳したのがヨハネ福音書です。「ヨハンネスノタヨリヨロコビ」という題です。このことは三浦綾子さんの小説「海嶺」に描かれています。
このヨハネ福音書は、つたない日本語ですが、味わいのある翻訳です。「ことば」とは、私たちが話す言葉とは違う意味を持つ言葉です。ギュツラフは「賢いもの」と訳しています。
1:14はこう訳します。「カシコイモノ、ニンゲンニナラアタ、ワタクシドモ、トモニヲッタ・・・ヲンゲイホントニイイパイ」。
「ヲンゲイホントニイイパイ」とは、「恵みとまことに満ちていた」と訳されている言葉です。ヲンゲイは恵み、ホントニは真理、イイパイは満ちている、です。恵みとまことがいっぱいになっている、はち切れそうになっている、欠けた所がないということです。カシコイモノ=主イエスが人となり、私たちと共にあった、そこに神の恵みがはち切れんばかりにいっぱいあった、というのです。
神のひとり子、神と共におられた方、主イエス・キリストが私たちと同じ人になられた。ここに神が私たちと共におられることが明らかになったのです。クリスマスは、この神のお姿が明らかになった出来事です。神が私たちと共におられることを知らせる出来事です。私たちは、主イエスの誕生を心から喜び、祝います。そしてこの喜びの知らせをこの世に伝えるのです。