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12月7日説教要旨 アドベント第二主日 「インマヌエル ―神の愛の現れ」 ヨハネ3:16

今日の聖書箇所は、聖書の中心になる言葉です。これがわかれば聖書を読んだことになると言って良いほどの言葉です。ある教会の牧師が、1年間52回の礼拝説教でこの箇所から同じ説教をしたそうです。毎週同じ説教なので、「先生、たまには違う説教を」と言った教会員もいたのではと思います。それでもこの牧師は、この箇所の説教を続けました。それは、この言葉をしっかりと握ること、理解すること、納得して離れないことが信仰の根幹である思ったからです。

私たちはともすると神の愛を見失います。生きている間にいろいろな文句を言います。病気をしては、神は私を愛していないのではないかと言い、少し挫折すれば、神を信じていても何の役にも立たないと言い、神の愛を見失います。今年のクリスマスのテーマで言えば、神は私たちと共におられるということが見えなくなります。

ルターは、キリスト者たるもの、だれ

しもがしなければならないこと、それはこのヨハネ3:16の言葉を暗唱できるようになること、次に毎日、自分の心に向かってこれを語り聞かせることだ、と言ったそうです。聖書の言葉は私を生かすものです。その中心にあるのが今日の言葉です。

主イエスの誕生は、神の愛の現れです。そしてこれこそが「インマヌエル―神が私たちと共におられる」ことの意味なのです。今日の箇所から恵みを汲み取り、この言葉を暗唱できるまでになり、いつも心に語りかけていきたいものです。私たちの信仰は、神がそのひとり子をお与えになったほどに私たちを愛してくださったという愛に信頼して生きることです。

ヨハネ3:16は、神の愛を真っすぐに語っている言葉です。神が私たちを愛しておられるということがよくわかる言葉です。その愛は、ご自分のひとり子をお与えになったということに現わされています。

この世を愛された、とあります。この世とは、この福音書の初めに、神の言葉、光であるキリストがこの世に来られたのに、この方を世は受け入れなかった、という「世」です。神の愛を受け入れない頑なな世=人々、つまり私たちを愛してくださった、というのが今日の箇所です。

神が共におられることを明らかにしたのに、人々はこれを受け入れなかったのです。それでも神はその人たち=私たちを愛してくださった。私たちをあきらめず、見捨てずに私たちと共におられることを表して下さった。愛を現されたのです。その愛の現れが主イエスの誕生なのです。

その目的は、私たちに永遠の命を与えるためだというのです。Ⅰヨハネ4:9,10にもこの神の愛が語られています。この箇所はヨハネ3:16を別の言葉で言い表しています。

神はそのひとり子を世に遣わして、この方によって私たちに命を得させてくださった。ここに神の愛が私たちに示されたと言います。神は私たちを愛して私たちの罪のために、犠牲となって死ぬために御子を遣わされたのです。ここに神の愛があるのです。

命、永遠の命は、ヨハネ福音書のキーワードです。今日の箇所は、永遠の命を得るためと言い、一人として滅びることなく、ということと合わせて語られます。滅びるとは、失うということです。この言葉はルカ15章にも使われている言葉です。ルカ15章には、三つのたとえ話があります。三つに共通するのは、失われた存在ということです。羊飼いのもとから失われた羊、持ち主のもとから失われた銀貨、父親のもとから失われた息子です。

ここで失われたものとは、私たちのことです。誰が失うのかというと、それは神です。私たちは神から失われたもの、というのがここで主イエスがたとえられたことなのです。しかし、神はその失われた私たちをそのままにしてはおかれなかったのです。失ったままではいけないと思い、ご自分のひとり子をお与えになったのです。ここに神の愛が現されたのです。

アメイジング・グレイスという賛美があります。聖歌229です。この聖歌の歌詞も味わい深いのですが、原詩は少しニュアンスが違います。

驚くべき恵み、なんと甘く美しい響きだろう、私のような哀れなものを救ってくださった、私はかつて失われていた、しかし今は見つけていただいた、かつては見えなかった、しかし今は見える。

作者のジョン・ニュートンが、信仰に目覚めた時の思いを歌ったと言われます。自分は神から失われていた者だった。哀れな者だった。しかし今は神に見いだされ、神の愛、恵みを知って、神の恵みを歌う。神に見いだされたということは、神が共におられることを知ったことです。そしてこの賛美歌を作ったのです。

神は私たちを愛して、ご自分のひとり子である主イエス・キリストを私たちに与えてくださいました。それは私たちが一人として滅びることなく、失われたままでなく、見出されて、永遠の命を得て、その神の恵みを心から、それも驚くほどに喜ぶために、ご自分のひとり子であるキリストを私たちに与えてくださったのです。

ここに神の愛があります。ここに神が私たちと共におられるということが明らかになったのです。

神は、そのひとり子を私たちにお与えになることによって、私たちがどうであれ、決して見捨てず、私たちと共におられることを明らかにされたのです。罪によって滅びることなく、失われたままでなく、神の懐の中で生きることができるために、一人であるキリストをお与えになって私たちを呼び戻そうとされたのです。

永遠の命とは、父なる神の懐に抱かれて生きることです。神が共にいてくださることを知って、信じて生きることです。そうなるためにイエス・キリストがお生まれになったのです。ここに神の愛が現わされたのです。神が共におられることが現わされたのです。