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12月21日クリスマス礼拝説教要旨 「インマヌエル -神は私たちと共に」 マタイ1:18~25

メリー・クリスマス!主イエスの誕生を心から喜びましょう。

以前、台湾の南山という山岳地帯にある町のアッセンブリー教会に、夏に行ったことがあります。その教会では、クリスマスの飾りがそのままありました。聞くと、一年中、クリスマスの飾りをしているとのこと。

おかしくはありません。主イエスが来られたことを心から喜ぶ、その思いが表れていると思いました。

クリスマスはキリストの祭りです。私たちは毎週教会に集まり、いつもキリストの祭りをしています。祭りは、聖書では、記念することです。思い起こすことです。そして今も生きて働かれる神を覚え、知るのです。

私たちの信仰の中心、焦点は神です。主イエス・キリストです。自分ではありません。今年のクリスマスは「インマヌエル-神は私たちと共におられる」ことを覚えてきました。これは私たちの信仰の根幹です。信仰を持つとは、救われるとは、神が共にいてくださることがよくわかることです。

救い主イエス・キリストの誕生は、神が共にいてくださるという神の恵み、約束、言葉の実現なのです。今日も神が共にいてくださることを知り、喜び、信じて立ち上がって行きたいと思います。

今日の箇所は、アドベント第一主日にも取り継いだ箇所です。何度取り継いでもここに語られている恵みを語り尽くせない思いがします。神の恵みを取り継ぐことは喜びです。

反面、それはまた、主イエスの誕生が、神が私たちと共におられることのしるしであることを、私たちが忘れ、これほどに神に愛されていることを忘れるということの裏返しでもあります。

神が共におられること、このことをいつも覚えたいのです。忘れて心を乱し、不安が襲ってくる時、神が共におられることを思い起こし、喜びたいと思います。

今日の箇所は、主イエスの誕生の出来事は次のようであった、と始まります。そして母マリヤの妊娠のことから語ります。それに続いて父となるヨセフの心情がそれに続いて語られます。

ヨセフは正しい人であったとあります。神の言葉を守る人、神に信頼する人という意味です。そして優しい人でした。マリヤを密かに離縁しようと思っていましたが、それでも戸惑っていました(20節)。思いめぐらしていたとあります。いつも頭から離れなかったと思います。

自分に非はない。密かに離縁しても誰からも非難されることもないかもしれない。でも、離縁されたマリヤはどうなるのだろうか。まだ少女のマリヤです。そのマリヤのことを思うと心乱れたと思います。

思いめぐらしていたヨセフに神の御使いが夢の中で現れて神の言葉を取り継ぎます。「ダビデの子ヨセフ。恐れるな。マリヤの胎に宿ったのは聖霊による」。聖霊によるとは、神の力によるということです。神による出来事だということです。

ヨセフは正しい人であったと言いました。それは神中心であったということです。しかし、自分に起こったある意味、理不尽なそして不条理な出来事を思いめぐらしていた時の心にあったのは、自分が中心になっていたことでした。御使いの言葉は、彼の信仰を神中心に変えました。目覚めさせた出来事です。

私たちは、考えてもどうにもならないことを時に思いめぐらし、思い煩います。その時にあるのは、自分中心の視点です。信仰においてもそれが起こります。しかし、それを修正し、乗り越え、打ち破って歩み出すのは、立ち上がるのは、神がその中心におられるという信仰です。私たちの信仰の焦点は神にあります。

マリヤに起こった出来事は、神の力によります。神がその御計画を実現されるのです。ヨセフは眠りから覚め、迷いなくマリヤを妻として迎え、主イエスの父となったのです。

御使いは告げます。その名をイエスとつけなさい。この方こそご自分の民をその罪から救う方である。

「イエス」という名前は「主は救い」という意味です。ご自分の民とは、これはすべての人のこと、私たちのことです。すべて、というとひっくるめて、と思ってしまいますが、そうではありません。一人ひとり、という意味です。神はまとめてではなく、私たち一人ひとりをご覧になっているのです。そして私たちをその罪から救って下さるのです。罪とは何でしょうか。

マタイは、この出来事を預言の成就であると言います。預言とは、神の言葉であり、神の約束、御計画です。その預言は、神が私たちと共におられるということです。

罪とは、この「神が共におられる」ということを知らず、信じず、認めないことです。神が共におられることを知らない者は、全部自分で何とかしなくては、という悲壮感、しんどさを持ちます。思いめぐらしていたヨセフがそうでした。

しかし、御使いの言葉はヨセフを神の約束、御計画の中に招き、神を中心とした信仰に立たせました。神が共におられる信仰に立たせたのです。私たちの信仰は、神が共におられるという神中心の信仰です。

出エジプト3:7,8では、暗闇の中で悶えているイスラエルを救うために神は降っていく、と言われます。主イエスはまさに、暗闇で悶える者、罪の中にある者を救うために降って来られたのです。そして、神が私たちと共におられることを現わされたのです。

インマヌエル、神は私たちと共におられます。だから恐れることはありません。どんな時も神が私たちの痛みを知り、その痛みを益に変えて下さいます。神が共におられることを信じ、立ち上がることができます。

このクリスマスの時、神が共におられることを喜び、感謝し、期待して立ち上がって行きましょう。