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今年、私たちの教会は創立70周年を迎えました。この70年の歴史を編んできた私たちの教会がどこに向かっているのかを改めて確認しました。それは、主なるキリストに向かって進むということでした。
歴代の教会員、役員、牧師、教師たちが世代を継いできました。タスキを、バトンを継いできました。それが積み重なり、つながって今日を迎えています。主イエスが再び来られるその時まで、このタスキを、バトンを次の世代へ嫁いでいきます。
今日、今年最後の礼拝において、私たちの向かうところを改めて確認して行きます。主からの言葉を聞き取り、新しい年に向かって行きます。
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教会は、キリストの体である。そしてそのかしらは、キリストである。これが私たちの信仰です。この私たちの信仰の目指すべきところ、見つめるべきところは、かしらであるキリストです。私たちはここに向かって成長し、進んでいきます。
エペソ書は、教会はキリストの「体」と言って、体にたとえます。私たちの体が成長するのと同じように、キリストの体である教会も成長すると言います。
自分の体のことを考えると、ある程度の年齢までは「成長」と言えるかもしれませんが、年を取り、衰えを感じる者にとって、必ずしも成長とは言えないのではないかとも思ったりします。Ⅱコリント4:16で「外なる人は衰えても」と言われている通りです。
年を取ると、さまざまな衰えを実感します。しかし、そのような状態の中にあっても、年と共に教会は成長する、進むというのです。
教会は、主が再び来られるまで、各世代が歴史を編み、タスキを継いで行きます。繰り返しますが、主が再び来られる時までです。これこそが私たちの見つめるべきところです。向かっているところです。
やがて主イエスはもう一度来られます。このことを毎日覚えるべきです。特にこの年末、この思いを強くします。アドベントの時に限らず、毎日、主を待ち望む思いを持つのです。その時まで私たちの教会は進んでいきます。成長します。
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今年の標語聖句とした4:15では、あらゆる点で成長し、かしらなるキリストに達する、と言います。繰り返しになりますが、ここにキリストの再臨を待ち望む私たち教会の目指すべきところがはっきりと語られています。
今日は、この標語聖句の前後を読みました。4:15のことをよく理解するためです。11節からの言葉を別の言葉で言い表したのが15節です。キリストはご自分の体である教会を建て上げるために奉仕者を立てたと言います。聖徒たちを整えて、とあります。聖徒とは教会員のこと、つまり私たちのことです。ここでは「教会」とは言わず、「聖徒たち」と言います。
奉仕者とは、仕える務めをする人のことです。奉仕者は牧師に仕えるのではなく、神に仕え、キリストに仕えます。それが教会に仕えることです。
さまざまな奉仕、務めがあります。教える務め、指導する務め、御言葉を語る=取り継ぐ務めなど。その目的は、キリストの体である教会を作り上げることです。
それを13節ではまた別の言葉で言い表します。私たち教会を形成する者の信仰の一致と御子の知識のため、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するため、と言います。教会に仕える務めを与えてキリストの体である教会を建て上げる。私たちの奉仕、務めはこのためにあります。
私たちの信仰は、自分の幸福を求めることだけではありません。平安を得ることだけではありません。それらを否定はしませんが、それだけではないのです。神の御業に仕えることによって私たちがキリストの身丈にまで成長するためなのです。
教会を建て上げる、というと、教会にばかり焦点が当たって、自分のこと、私のことはどうでもいいのか、という疑問もあるかもしれません。教会を建て上げるということは、聖徒たち=私たち一人ひとりの信仰を建て上げることなのです。
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さらに16節で、11節から15節までに語ってきたことをまた別の言葉で言い表します。15節と16節に共通してある言葉は「愛」です。愛によって真理を語り、愛のうちに建てられる、と言います。
真理を語る時、愛によって語ると言われます。ここに注目します。キリストの体である教会は、また私たち聖徒の信仰は、愛によって建て上げられ、成長し、進んでいくのです。
正しいことを語るにも愛の中で語るのです。神に愛された者として、愛することとして語るのです。私たちは時に、正しいことを言う時に、怒りに任せて言うことがあります。
ある同労の牧師を注意するようなことが起こりました。その役割を私がすることになりました。その時、先輩の牧師から「先生、怒らないで注意してあげて」と言われました。つい怒ってしまう私の性格を知っておられた先生だったと思います。正しいことであっても、愛を持って語ることが必要なのです。
16節は、キリストによって体全体は、と言います。キリストによって立てられた奉仕者に仕える務めが与えられ、その一つ一つの奉仕によって体が結び合わされ、組み合わされるのです。それぞれが補い合って教会は成長するのです。できる人とできない人とがそれぞれに仕える務めを担い、補い合って成長します。
本当に教会は不思議なことが起こります。大小によらず、人数の多い少ないによらず、教会はキリストによって立てられた仕える者、仕える務めによって立ち、成長します。
やがてキリストは再びこの世に来られます。その時まで私たちは今与えられているところで仕えます。務めを忠実に行います。
来る年もキリストを見つめ、キリストを目当てに進んでいきましょう。