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3月8日説教要旨 「平和をつくる幸い」 マタイ5:9

私たちの尊敬する弓山喜代馬先生が「説教は突っつき棒」と言っておられました。説教は聞いている人の心を突っつき、行動を起こさせる、という意味です。教会に来て平安を得ることは大切です。神の愛を知り、喜び、いつも共におられる主イエスを信じて、平安を得ます。慰めを得ます。とても大切なことです。
それだけでなく、主イエスの言葉、神の言葉の説教を聞き、じっとしていられなくなることも大切なことです。
礼拝は神の言葉に対する応答です。前のめりになって応答するのです。じっとしていられないのです。
今日、洗礼式を行います。洗礼を受ける決心をすることは、神の言葉の説教を聞き、突っつかれて立ち上がったことです。その思いをもって今日の主イエスの言葉を聞きます。平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれます。
今日はまた、震災復興祈祷礼拝です。この礼拝もまた平和をつくるための礼拝です。

今日の説教題を「平和をつくる幸い」としました。これは主イエスに倣い従う歩みです。私たちキリスト者の歩みは、主イエスに倣い従う歩みです。その歩みを主イエスが幸いと言われます。今日、それが平和をつくることだと言われるのです。
平和は、誰もが望んでいます。武器商人以外は。誰もが望んでいるのですが、しかし、残念なことに私たち人間は、平和の道を知りません。平和をつくる方法を知らないのです(イザヤ59:8)。
先日、衆議院選挙がありました。政権党が2/3以上の議席を得ました。そこで、非戦をうたっている憲法を変えようなどということが言われています。また、平和は武力による平和だなどと言う議員もいる始末です。まさに彼らは平和を知りません。どう平和をつくるかを知らないのです。
イザヤ59:7,8はローマ3:10以下に引用されています。義人はいない。一人もいないと始まる箇所です。罪の姿を述べています。平和の道を知らないことは罪だということです。
議員がというだけでなく、ひるがえって私たちはどうでしょうか。平和の道を知っているでしょうか。自らを問い直す必要があります。そして、平和をつくる者は幸いだ、という主イエスの言葉の前に立ちます。この言葉に突っつかれてどうするかを考えなくてはなりません。
平和の道を知らないとするなら、私たちの祈りは深くなります。そして微力ながらもまた狭い中でも、私たちの所で平和をつくる行動をします。

今日の説教を準備した後に、アメリカとイスラエルがイランを攻撃しました。そこに戦争が起こりました。心痛める出来事です。平和をつくる者は幸いだ、という主イエスの言葉を聞きつつ、この出来事を考えます。どうすればいいのだろうか。
私たちがこの現実の中で平和をつくるということの一つは、この国のために、そして世界の平和のために、施政者ために祈ることです。彼らが間違った判断をしないように。大きな戦争へと突き進まないようにと、その破れ口に立って祈ることです。アッシジのフランチェスコの祈りにあるように、私たちを平和の道具として下さいと祈ることです。
祈っていればいいのか、と問う人もいるかと思います。しかし、祈りは行動を生み出します。主イエスは私たちが平和をつくる幸いに生きることへと招いておられるのです。

九つの幸いの教えは、主イエスのお姿そのものです。平和をつくる者、それは主イエスご自身です。主イエスは、十字架によって神との平和をつくって下さったお方です。
何よりもまず、神との平和こそ重要なのです。これがなければ、地上に真実の平和は来ません。
平和の道を知らない私たちの中に、神が主イエスをお遣わしになり、平和の道を開いて下さいました。平和を知らない者たちをエレミヤはこう表現します。わが民は主の定めを知らない。
主の定め、おきてとは、神の御意思です。それは、人間は戦場をつくってはならないということです。人はみな神に背き、戦いに突き進む馬のように自分勝手に生き、戦いをつくりました。そのような私たちが立ち直るのはただ一つです。主イエスによって神が差し伸べて下さった和解の手を握ることです。神との平和をつくっていただく以外にありません。
神との平和は単に私たちの心の中にとどまる平和ではありません。私たちの心を突き抜けます。神との平和を得ている者の歩みは、平和をつくる歩みになります。平和をつくって生きる幸いな歩みをする者なのです。
洗礼を受けることは、この幸いの中に招き入れられたことです。その人は、平和のために祈り、平和をつくっていきます。主イエスに倣い従うのです。

震災復興祈祷礼拝は、2011年3月11日に起こった東日本大震災を機に始まりました。多くの被災者の方たちは平和をなくしていました。私たちは被災者のため、被災地のために祈り、寄り添い、復興を支援しました。その復興は、魂の復興でもありました。
真の復興は、神との平和を得ることから始まると信じて祈り、支援し、福音の種を蒔きました。
平和をつくる人は神の子と呼ばれます。神の子とは、主イエスのことです。それを主イエスは、ご自分に倣い従う私たちに対してお使いになりました。そう呼んで下さったのです。
今日、私たちはここから自分の生きるところに帰ります。争いの絶えないこの社会に帰ります。そこで平和をつくる幸いな者として生きるのです。
主イエスは、この平和をつくる幸いに招いてくださっています。それに応える者に、平和をつくる力を与え、祝福を与えてくださるのです。