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5月21日説教要旨 「神は愛です」 第Ⅰヨハネ4:7~21

中央聖書教会では、毎月第3週目は伝道礼拝です。毎週は家族や友人を誘えないけど、この日なら誘ってみようと思う人もいると思います。

 今日の箇所は、教会に来られている方なら、良く知っている箇所です。キリスト教がどのようなものであるか、私たちの信じている神様がどのようなお方なのかを、端的に教えている箇所です。

 ヨハネは、教会に偽教師が入り込んでいること、また異なった思想が教会を取り巻いていることを知り、この手紙を書きました。ヨハネは手紙を通して、3つのことを伝えようとしています。「喜びが全きものとなってほしい」「罪を犯してはならない」「永遠のいのちを持っている」。そして、これらの目的達成のために、光の中を歩むこと、御言葉に留まること、神の子どもであること、互いに愛し合うこと、そして信仰には勝利があるということを語っています。

 ヨハネは最初に、「互いに愛し合いましょう」と呼び掛けています。これは、キリスト教の教えの中でも、大切な教えです。私たちは、なぜ愛し合わなければならないのでしょうか。それは「神は愛」だからです。愛の源、起源は神であるとヨハネは言っています。

 ギリシャ語には愛を表す言葉がいくつかあります。神の愛を表す「アガペー」以外は、みな自分にとって価値あるものに対する愛の言葉です。しかし、神の愛だけは相手の価値を問いません。キリスト者として愛し続ける者は、神から生まれ、神を知っているのです。

では、神の具体的な愛の内容はどのようなものでしょうか。4章9・10節には、「ここに愛があるのです」と書かれてあります。神の一人子である、イエス・キリストをこの地上に遣わし、私たちの身代わりとして十字架につけ死なせた。イエス様の命を犠牲にして、私たちに永遠のいのちを与えてくださった。これが、神の愛です。この愛は、ただ神様の一方的な愛のゆえの出来事なのです。

神様は、初めに人間を創造されたときから愛し続けてくださっています。しかし、人間が神様を裏切り、罪が入り込んだ。その結果、死を招いたのです。この罪の結果を取り除くのが、完全であり、罪のない、イエス・キリストの犠牲です。

神様は、見返りを求めない愛を、一方的に与え続けています。イエス・キリストの十字架。ここに神の愛があります。愛は、神様にしかありません。この愛を決して離すことなく、握り続けていきましょう。

最初のヨハネの呼びかけに、戻ります。彼は、「神が私たちを愛してくださったから、私たちも神様を愛しましょう。」とは、言いませんでした。そうではなく、「神が私たちを愛してくださっているのだから、互いに愛し合いましょう。」と言ったのです。20・21節を見るとき、兄弟を愛することが、神を愛することだということが分かります。私たちが神の愛を知り、神様と共に歩むとき、神様は私たちの内にいてくださいます。それは、神の愛を実行する者へとなっていくということです。愛なる神が、私たちの内にいてくださるなら、この愛は見える形となって表されていくのです。

私たちは、直接神様を見ることはできません。しかし、神様の愛は見ることができます。それは、互いに愛し合うことで、神様の愛が表されていくのです。

私たちが、神は愛であることを知り、互いに愛し合うならば、「愛は全きもの」となります。17・18節を読むと、神の愛を知り、その愛を信じ、私たちが神の内に留まり、神様も私たちの内にいてくださる。そして、兄弟同士互いに愛し合うならば、裁きの日に大胆さを持つことができると言っています。つまり、神様の愛に生きているなら、私たちが神様の前で裁きを受ける時、胸を張って前に立ち、永遠の命を宣言することができるというのです。そして、私たちの内に神様がいてくださるとき、自分が何者で、誰に属しているのかも知ることができます。そして神の愛は、真理に属していることも教えてくれるのです。

私たちは完璧ではありません。失敗のない人生もありません。分かっていながらも、同じ罪を繰り返し生きてしまいます。その中で、本当に自分は神の愛を知っているのか、永遠のいのちが与えられているのかと、不安になることがあります。しかし、神を知り、神の内にとどまり、神も私たちの内にいてくださる。そして互いに愛し合う時、私たちはキリストに似た者としての歩みをしていることになるのです。神様の愛は、地上での歩みを豊かにし、希望と喜びを与え、大胆さを与えるものです。

私たちは互いに愛し合っていきましょう。神様の愛を受け取ったならば、その愛を、目に見えるものとして表していきましょう。神様を愛しますと言いながら、家族や兄弟を愛せていないならば、胸を張って神様を愛していますとは言えません。目に見える人を愛することができない人は、神様を愛することは難しいのです。神を愛することと、人を愛することは同じです。一番身近にいる人を愛しましょう。教会のメンバーを愛しましょう。神様は、私たちが十字架の愛に留まり、十字架の愛に生きる者へとなって欲しいと願っておられます。互いに愛し合い、神様の愛を示すクリスチャンとして、1週間を歩んで行きましょう。