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6 月 25 日説教要旨 「神の望まれること」 Iテサロニケ 5:16~18 ・

今日の説教箇所は、暗唱している方
も多くいるかと思います。このみ言葉
は、クリスチャンとして歩むうえで、
基本となる御言葉です。基本を知らな
ければ、神様と深く交わり、神の性質
を知り、主の語ることを悟ることは難
しいです。
テサロニケの教会は、パウロの伝道
によって始められました。しかし、や
むを得ない事情により、パウロとシラ
スは、テサロニケを出て行かなければ
なりませんでした。そんなテサロニケ
教会を心配して、パウロは訪問計画を
立てます。しかし、うまくいかなかっ
たため、テモテを派遣し様子を見ても
らったのです。その結果、迫害の中に
あっても、指導者がいなくても、彼ら
は福音に固く立っていた。この力強い
テサロニケ教会の姿に、パウロは励ま
され、更なる励ましと慰めの手紙を送
った、それがこの手紙です。

今日は、「神が望まれること」が何か
を、聖書から読み取っていきましょう。
1 つ目は、「いつも喜んでいなさい」
ということです。パウロは、「いつも喜
んでいよう」と、推奨する形では言い
ませんでした。命令として教えたので
す。それは、キリストと共に歩む全て
の人が、必ず行わなければならない、
必須事項だったからです。

私たちは「喜び」という感情を持っ
ています。しかしこの感情は、マイナ
スな要素に強く影響されてしまいま
す。パウロの言う、「いつも喜んでいな
さい」という言葉は、自分の感情や環
境、状況に左右されるものではありま
せん。
パウロが「いつも喜んでいなさい」
と言うと、とても説得力があります。
それは、彼が誰よりも多くの困難にあ
っていたからです。どんなにつらい状
況にあっても、死に直面しても、彼は
決して喜びを絶やすことはありませ
んでした。なぜなら、喜びの源がイエ
ス・キリストにあったからです。本来
抱くべき「喜び」は、イエス・キリス
トが私の人生全てを受け入れて下さ
ったということ、私の全存在が神様に
受け入れられていることにあります。
問題の中にあっても、主が共にいて下
さるということを思い出すなら、苦し
みの中に喜びを見出すことができま
す。
「喜び」は御霊の実の一つです。聖
霊の働きなくして、本当の喜びを感じ
ることはできません。つまり、聖霊な
くして、主が共にいて下さるというこ
とを、知ることはできないということ
です。聖霊なくして、主が私の人生全
てを受け入れて下さったという、真の
喜びに到達することはできないので
す。
聖霊によって、主にある本当の喜び
に満ち溢れる時、その喜びは多くの人
の恵みとなります。主にある喜びを聖

2
霊によって知る者となりましょう。

2 つ目は、「絶えず祈りなさい」とい
うことです。これは、四六時中膝をか
がめて祈れと言っているわけではあ
りません。どんな時でも主を思うこと、
主のみ旨を聞きながら生活すること
を言っています。
私たちは、自分の願いや、問題解決
のために祈ることが多いです。時には、
この道に行きたいから主よ守ってく
ださい、導いてくださいというような、
祈りをすることもあります。しかし、
本来の祈りは、人生に起こる全ての出
来事、状況は、神の主権の中にあると
いうことを認めることではないでし
ょうか。「神様、私が不思議に思おうが、
泣こうが、わめこうが、神様のなさり
たいことをなさってください。神様の
計画を実行にうつしてください。」こ
の祈りこそ、パウロの教えている「祈
り」なのです。私たちが生きている全
ての時間で、主を認め、主の思いに耳
を傾ける。自分の思いや計画ではなく、
全てを主にゆだねるための祈りこそ、
本来の祈りの姿なのです。
みなさんは、日々どのような祈りを
していますか。主が主であることを認
め、キリストが私たちの救い主である
と宣言する祈りをしていきましょう。
そして、主の御心がどこにあるのか、
主の計画通りに人生が歩めるように
と、祈るものとなりましょう。

最後に、神が望まれることは「すべ

ての事に感謝しなさい」ということで
す。一日の終わりに感謝を思い出して、
書きだす人がいます。私たちは、わざ
わざ感謝を思い出さなければ見つけ
られません。しかし、わざわざ探さな
くても、最も感謝すべきことが私たち
にはあります。それこそ、イエス・キ
リストの十字架です。
人間は、自分ではどうすることもで
きないほどの、罪人でした。罪に満ち
ていることも知らない、神も知らない
存在でした。反対に主を知りながらも、
知らない生活をしていたかもしれま
せん。それほどまでに罪に満ちていた
のです。罪の結果である、永遠の死を
誰もが迎えなければならなかった。そ
んな私たちに神様は、愛する一人子を
与えて下さり、罪なき存在が人間の罪
を全て背負い、十字架に架かり、聖い
血を流された。死ななくてよいイエス
様が死んで、その罪を葬ってくださっ
たのです。これが真理です。この真理
を覚えて日々過ごすなら、感謝がなか
ったなんて言葉は、出てこないはずで
す。
喜び、祈り、感謝はキリスト・イエ
スによって私たちに与えられていま
す。これは当たり前の事です。しかし、
今までの自分を振り返る時、自分の足
りなさ、欠け、当たり前を当たり前と
してできていなかったことを知りま
す。しかし、主はそんな私たちをも愛
してくださいます。今一度、このみ言
葉を心に留め、喜び祈り感謝する者と
して歩んで行きましょう。