新たな世代とともに、受け継がれる教会

集会案内 アクセス お知らせ

1月5日説教要旨 新年礼拝 「主なるキリストに 向かって進む」 エペソ4:15

新しい年も主を見上げ、主を喜び、賛美し、礼拝しましょう。

昨年、私たちは「主イエスを見つめつつ」という標語を掲げ、いつも主イエスを見つめることを心掛けました。私たちの信仰とは、主イエスを見つめ続けて歩むこと、走ることです。しかし、時に主イエスから目を離すことがあるかもしれません。問題を抱え、戸惑い、どうして良いかわからなくなることもあります。

しかし、そこで改めて主イエスを見つめます。そこに解決があります。答えがあり、恵みがあり、希望があり、喜びがあります。そして、主イエスを見つめる時、主イエスが私たちを見つめておられることを知ります。愛されていることを知ります。私たちは神に愛されているのです。

そして今年、「主なるキリストに向かって進む」という標語を掲げました。エペソ4:15を標語聖句としました。新改訳2017は「愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらなるキリストに向かって成長する」と訳します。今年最初の礼拝でこの御言葉から恵みを汲み取っていきます。

今年、私たちの教会は創立70周年を迎えます。60周年の時「前へ」という標語を掲げ、ピリピ3:13を標語聖句としました。

うしろのものを忘れ、ひたすら前のものに向かって進むという言葉からです。うしろのものを忘れとは、過去のことを忘れるというのではありません。パウロが「うしろのものを忘れる」と言っているのは、過去に受けた神の恵みを忘れるというのではありません。彼の人間としての誇りというか、人間的に頼ろうと思えばいくらでもある、と言っていることを指しています。彼の出自、熱心さです。他の箇所では、学歴や社会的身分もそれに含みます(使徒23:3)。

Ⅱコリント11:16~23では、愚かなことだが自分を誇ると言います。これは主にあって言うのではなく、愚か者としての思い切った自慢話だ、というのです。そして言います。「どうしても誇るのなら、自分の弱さを誇ろう」。自慢できることはいくらでもある。しかしそのようなことはどうでもよいことだと言うのです。それらは糞土のようなものと言います。ただ一つのことだけ、キリストを得ることこそ大事だというのです。

このことを覚えつつ、70周年の年に掲げた聖句がエペソ4:15です。かしらなるキリスト=主なるキリストに向かって進むのです。

標語では「進む」という言葉を使いましたが、成長するという意味です。新改訳3版では「達する」という言葉です。12節ではこの言葉を「建て上げる」と訳します。新改訳2017は「成長する」と訳します。この訳を採用しました。

このことを15節の前後と合わせて見ると、12節「キリストの体を建て上げさせ」、13節「キリストの満ち満ちた身丈まで達する」、15節「キリストに達する=成長する」、16節「キリストによって成長し、愛の内に建てられる」となります。

ここに私たちの目指すべきところが語られています。エペソ4章は、キリストの体である教会が、そこに向かって一致すること、謙遜と柔和の限りを尽くして寛容を示し、愛をもって互いに忍び合うことと語り始めます(2節)。互いに忍び合うこととは、我慢し合うこと、赦し合うことです。

それをかしらであるキリストを見つめつつするのです。キリストの体である教会は一つであり、その体のかしらはキリストです。この信仰に立つのです。教会は単なる人の集まりではありません。召しを受けた者の集まりです。1:23ではそれをキリストの体と言っています。この奥義は大切です。召しとは、救われたことです。救われた私たちは、救われた者としてふさわしく歩むこと、生きることが勧められているのです(4:1)。この勧め、教えをしっかりと心に刻みたいと思います。

このキリストの体である教会を建て上げさせ、かしらであるキリストに向かって成長するために、キリストご自身が教会に奉仕者を立てて下さいました(11節)。このことを覚えたいと思います。

時に奉仕者が偏ることがあります。毎週、同じ人が奉仕をしているということもあります。「あの人ばっかり」「自分ばっかり」と思わないで下さい。誰が奉仕者として立てたのかと言えば、キリストご自身なのです。どこに向かって奉仕しているのかといえば、かしら=主であるキリストに向かっています。誰から報いを受けるのかといえば、かしらであるキリストから、そして神からです。このことを覚えたいと思います。

教会は、奉仕者をもっと必要としています。キリストご自身がその奉仕者を必要としています。ぜひ、キリストの召しに従って下さい。

エペソ書が書かれた時代の奉仕者のリストが11節に記されています。この働きの中で誰が上で誰が下ということはありません。奉仕の重要性の上下はありません。

この奉仕がどこに向かっているのかを知ることが重要です。かしらであるキリストです。主であるキリストに向かって奉仕をします。そこに向かって進むのです。

今年、創立70周年を迎えます。改めて私たちは、前に向かって進みます。かしらであり、主であるキリストに向かって成長します。キリストの体を建て上げ、キリストの満ち満ちた身丈にまで向かって成長します。かしらであり、主であるキリストに向かって進んでいきます。

60周年の時に掲げた標語「前へ」を思い起こし、うしろのものを忘れ、主であるキリストに向かって一心不乱に進みます。

そして今年、70周年を迎えてかしらであり、主であるキリストに向かって進んでいこうではありませんか。