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先週と同じ箇所から、恵みを汲み取っていきましょう。
今年の標語は「主なるキリストに向かって進む」です。進むとは成長することです。この場合の成長は、量的な増加、教会員の数の増加という意味のではありません。使徒の働きでは、福音が広まっていくこととしてこの「成長」という言葉が使われています。キリスト者となった人数が増えた、ということでもあります。これも成長です。
熊本の教会に赴任したばかりのことです。ある女性教会員が「この教会に人を連れてきても救われない。クリスチャンにならない」ということを言いました。ショックでした。教会とは、教会の力とは何だろうと考えさせられました。救うのは神であり、主イエスです。聖霊の力です。そしてこれこそが教会に働く力だと思います。このようなことを言わせて良いはずはないと思いました。福音の力、神の言葉の力、教会に働く聖霊の力を信じることを伝えなければ、と思いました。
教会は、キリストの体であって、キリストが立てて下さった奉仕者により、そして、キリストの賜物の量りに従って与えられている恵みによってキリストの御姿に変えられるところです。これを信じないで人を教会に導くことはできません。教会を愛して下さるキリストの愛を信じることなしに、福音を伝えることはできません。キリストの体である教会を建て上げることはできません。
キリストの愛こそ、人を救い、生まれ変わらせ、生かす力です。教会はこの愛によって建てられ、成長するのです。今日は、ここに目を留めます。
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先週、この箇所のキーワードは「成長」だと言いました。このことが今日の箇所4:15前後で語られています。ここでの成長とは、量的な意味ではなく、キリストの御姿に変えられていくという質的な意味です。これは、私たちが頑張りによってではなく、キリストご自身が私たちを変えて下さるということです。神の愛が私たちを罪から救い、新しく生かし、キリストの御姿へと変えて下さるのです。これが今日の結論です。
今日の箇所の言葉は、エペソ書の主題を覚えつつ読んでいく必要があります。教会はキリストの体であり、その教会を建て上げるために私たちは召されました。ここにキリストと私たちとの関係が語られています。教会はキリストの体であるとは、教会のかしらはキリストであるということです。このかしらに結びついて教会は建て上げられます。
私たちが、キリストの体である教会に加えられたということは、この教会を建て上げるために召されたのです。教会を建て上げるとは、徳を高めるとも訳されます。そのために、2節、3節の勧めがあります。互いに忍び合いなさいと言われます。忍耐することです。これが徳を高めることです。「キリストに向かって進む」ためになくてはならないことです。
さらに「愛をもって」忍び合いなさいと言います。単なる忍耐、我慢ではないのです。愛を加えて、と言うのです。コロサイ3:1~17を併せて読んで下さい。互いに忍び合い、不満を抱くことがあっても主が赦して下さったように赦し合いなさい、その上に愛を加えなさい、愛は完全な絆です、と勧められています(13節)。
加えるべき愛とは、キリストが愛して下さったように、という愛です。このキリストの愛によって教会は建て上げられます。このことは今日の箇所でも「愛もって真理を語り」と言われてことです。
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かしらであるキリストに向かって進み、成長するために、愛によって、愛を加えた言葉で真理を、真実を語るのです。
真実を語る時、私たちの持つ正義感で語ってはならないのです。真理、真実は正論であるゆえに、それを語る時気持ちがいいのです。正義感を持ってしまいます。そしてその正義感に酔ってしまうことがあります。
正論とは言え、キリストが私たちを赦して下さったように、赦しを持って語らないと、愛をもって語らないと裁くことになります。時には真実が明らかになるためには、私たちの正義感をよって語ることも必要なのかもしれません。
しかし、わたしたちの正義感は厄介なのです。自分でコントロールできないこともあるのです。正義感を怒りに任せて振り回すこともあるのです。人の怒りは決して神の義を現しません(ヤコブ1:20)。
だからこそ、私たちはどこを見るのかが重要になります。自分を見るのではなく、キリストを見ます。キリストの愛を見るのです。
今日の箇所の次の節16節では、愛によって建てられると言います。16節は、愛によって建てられることを丁寧に語ります。
そのまま引用しましょう。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです」。
教会は、一つ一つの部分が働き、補い合い、結び合わされて成長し、愛によって建てられるというのです。これが愛をもって真理を語ることです。ここには自己満足的な正義感はありません。
今年、私たちの教会は、創立70周年を迎えます。これまでの恵みを感謝し、かしらであり主であるキリストに向かって進んでいきます。キリストの愛によって成長させられ、進んでいきます。
やがて主は来られます。その日、その時、私たちはキリストの似たものとなっていることを知ります。その時まで、愛によってキリストの体である教会を建て上げ、成長しいきます。成長させられていきます。
かしらであり、主であるキリストに向かって進んでいきましょう。