新たな世代とともに、受け継がれる教会

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1月4日 新年礼拝説教要旨 「新たなる思いをもって」 ピリピ3:12

私たちの教会の創立70年の年を終え、新たに次の歴史を編んでいきます。私たちの教会は、10年ごとに記念誌を出してきました。それは、10年を一区切りとして来たことです。

先週、昨年の最後の礼拝の後、私ども牧師夫婦の引退のお知らせをしました。驚いた方もいたのではないかと思います。今年3月末で引退はしますが、もう終わりではありません。次の牧師に働きを委ね、引き継ぐために思いを新たにして、与えられた責務、務めを果たしていきたいと思います。

次の区切りの10年を考え、思いを新たにするためにも、私たちの目指すべきところをしっかりと見つめていきたいと思います。

今日は今年掲げた標語聖句から説教を取り継ぎます。この箇所は依然、ピリピ書の連続説教の中でも取り継ぎました。その時は1節から16節まで読みました。その時は、自分はまだ捕えていない、捕らえようとして追い求めている、と語りました。そしてそれは、私がキリストに捕らえられているからだということを主題としました。今日の結論を先取って言うなら、私たちはキリストに捕えられていることを新たな思いで知っていきたい、キリストに捕えられていることを感謝したい、ということです。

昨年の主題は「進む」ということでした。何があっても私たちは前に進みます。キリストに捕えられているからです。キリストが再び来られるまで、新たなる思いを持って進みます。

ピリピ書の主題は「喜び」です。この手紙は「喜びの手紙」とも言われます。しかし、この手紙はまた「獄中書簡」と呼ばれ、パウロがローマの獄に捕えられている時に書いた手紙とも言われます。とても喜べる状況にない時の手紙です。それだけに、パウロがこの手紙で述べている「喜べ」という勧めは、私たちの心に強く響きます。信仰による喜びに生きることを強く思わせる手紙です。

信仰による喜びとは、キリストにある喜びです。他の何ものによっても得ることのできない喜びです。パウロはこの喜びを3勝、4章で語ります。

3:1で「主にあって喜びなさい」とパウロは言います。この言葉はあいさつの言葉としても使われていたものでした。私たちキリスト者もこれを挨拶の言葉にしたいくらいです。主にあってごきげんよう、喜ぼう。私たちキリスト者の挨拶は、まさに主にあって喜びがありますように、との意味があることを覚えたいのです。

そして言います。それはあなたがたにとって安全なことだ。安全とは、確かなこと、確実なこと、そして転ばないことです。主にあって喜ぶことは転ばないこと、確かな歩みために重要なことだというのです。私たちにとって、さまざまな出来事の中で喜べることばかりではありません。

パウロは、このことを自分がキリストを信じる前、どのようなものであったかによって語ります。そしてまたキリストを信じてどのようになったかを語ります。パウロの救いの証です。それが3節から14節まで語り、15節で私のように歩めと勧めます。

この証の中で彼は、自分たちキリストを信じる者が頼りとし、誇りとすることが何かを示します。それは、キリスト・イエスを誇るということです。

キリストを誇る以前=キリストを信じる前の自分が頼りとし、誇りとしていたことを、肉の誇り、と言います。人間的な誇り、ということです。誰かが人間的なものを頼りとするのなら、私はその人以上にある、と言います。

彼は、自分の出自を言います。生まれも育ちも血筋も申し分のないものだ。熱心ということなら誰にも負けない。律法を守ることにおいては誰にも引けを取らない。また、この箇所には記されていませんが、使徒の働きの中で、自分が当時の最高学府であるガマリエルの元で律法の厳格な教育を受けたと言っています。

しかし、それら肉の誇り=人間的な誇りをキリストのゆえに、キリストを知ることのゆえに、その素晴らしさのゆえに損と思うようになったと言うのです。パウロが人間的に誇りとしていたものは、私たちの時代にも物を言うことと思います。

しかし、パウロにとって、そして私たちキリスト者にとって力となり、慰めとなり、励ましとなるのは、また私たちをいつも立ち上がらせるのは、キリストにある喜びです。キリストを知ることの喜び、誇りです。私たちはこのことを新たな思いで心に刻みたいと思います。

私たちの誇り、喜びは、キリストにある喜びです。キリストを知る喜びです。昨年、アドベント・クリスマスの時、インマヌエル-神は私たちと共におられることを喜びました。神が共におられるとは、キリストが私たちを救うため、暗闇から救うために人としてこの世に来られたことに現わされています。

暗闇とは、私たちが罪の中、絶望の中にいるということです。死を意味します。しかし、その私たちの死をキリストが私たちに代わって死んでくださいました。そして三日目によみがえられました。このキリストの死と復活によって私たちは罪から、死から救われたのです。このキリストこそが私たちの誇りです。

ローマ8:31には、神は私たちの味方であるとあります。そして32節で、神がご自分の御子をさえ惜しまずにお与えになっただから、御子と一緒にすべてのものを私たちに恵んで下さらないことがありましょうか、と言います。

これほどに神は私たちを愛してくださっています。そのことを今日の箇所では、キリストが捕らえてくださっている、と言います。このキリストを知る絶大な価値、喜びをもっと知りたいものです。この年、新たな思いをもってキリストをさらに知っていきましょう。さらに知るようにとキリストが私たちを捕らえてくださっているのですから。

今日、私たちは聖餐の恵みにあずかります。